2019年10月13日日曜日

Hohenschwangau .3




なをみさん

NYに来て、宿を始めてから、歳を重ねるのは夜の海で泳ぐようだと思い始めました。ひょっとしたらそう以前に書いたかもしれません。

それまで記憶は積み重なってゆくものだと思っていたのに、強烈な印象を残した出来事や、絶対に忘れないと決めた経験や、どうしてなのかいつまもで心に残る景色や風や音が、ある時何かの拍子に突然蘇ってくる事を繰り返す間に、記憶がまるで深い海に浮かび上がったり沈み込んだりするもので、歳をとってゆくという事は、暗い海を泳ぐような感じだなと思い始めました。「記憶」達が泳ぐ私の手にいきなりぶつかっきたり、そうとは知らずに掴んでしまったり、自分の横を漂ってゆくのを眺めて、驚かされたり、懐かしくなったり、寂しくなったり、嬉しくなったりを繰り返しています。深く海に沈んでしまってもうきっと二度と思い出せない記憶や、忘れた事さえ気がつかないうちに遠くに消えてしまった記憶もあるのだと思います。
それは満月のように明るくて波がきらきら光る海ではなくて、新月のように暗くてねっとりとした海でもなく、心地よくていつまでも泳いでいたい三日月夜の海です。

それで言うと、なをみさんからの手紙への返事を書くのは、その三日月夜の海を深く潜って行く行為かもしれません。

なをみさんの花が時系列に並んでる姿を見てみたいです。ぜひ何かの形で残してください。
美術館でも同じ作家の作品は年齢が若い順に見るとより深みが増すし、シンクロしやすくなります。ぜひ!

今回なをみさんの手紙であのヨーロッパの旅が蘇りましたが、雪かきの後だったせいで、どうしてもあのドイツの古城への雪道でつるつる滑るなをみさんのあとを笑いながら着いて行ったのを思い出しました。底まで皮のアンクルブーツじゃなかったでしたっけ。最後は二人して歩道から逸れて林の間の雪を木につかまりながら歩きましたよね。あそこまで困っている人を笑ったのは初めてでした。でも、そこにはまだ会って間もないなをみさんへの信頼がすでにあったからですので、許してください。コンクリで内部が修復された城には何の魅力もありませんでしたが、あの雪道は永遠の思い出です。

来週また雪だそうです。これがこの冬最後になりそうです。

ではまた!

陽子