2019年10月17日木曜日

Wien .1




なをみさん

手紙で最初に思い出したのはカサブランカです。
きっと心に残る手紙の内容、自分がもらった大切な手紙等を想像していたのじゃないかと思いますが、手紙と聞いてすぐに頭に浮かんだのは、届かなかった手紙でした。

昔、ヨーロッパの旅行中に、私が当時のボーイフレンドからの手紙を滞在中のホテルで受け取った事を覚えていると思いますが、その彼にはその後モロッコ旅行の際に、カサブランカのYMCAに手紙を送ってくれるようにも頼んでいました。
ところが、私はモロッコでシェフシャウエンという小さな美しい村に恋してしまい、そこに2ヶ月もとどまる事になってしまったのです。カサブランカまではバスで半日かければ行ける距離だったので、滞在が長くなり村の公衆電話ではなかなか繋がらない状況で恋しさが募って、手紙を受け取るためだけに日帰りで出かける事にしたのです。

朝 まだ暗い時刻にバスに乗り、ヒマワリ畑やオリーブの林の間を通り抜ける時にはうきうきした気持ちだったものの、白いカサブランカの街に着いた時には、2ヶ月の田舎暮らしですっかり都会に怖気づいていました。ところが、あちこち人に聞きながらやっとYMCAに辿り着いたのに、彼からの手紙は届いていなかったのです。郵便事情を考えて1ヶ月も余裕を持って取りに行ったのにです。裏切られたという思いから失望と悲しさと切なさが募って力が抜けました。
帰りのバスでは心が乾くような孤独と、どこからかふつふつと気泡のように上がってくる怒りが音を立てて心の中で弾けるのを感じました。
もう彼とは終わった。と思いました。電話して確かめる事も考えられないくらい、純粋で単純で、思い込みが激しかったのです。
そしてその次の日、その村の広場でぼーっとスケッチブックを広げている時に、くすくす笑いながら近づいてくるアメリカ人の青年に1日で恋をしてしまいました。

日本に残してきた彼は確かに手紙を出していたのですが、なぜが届かなかったのです。もしその手紙が届いていたら、翌日アメリカ人から声をかけられても、ただの旅人同士の情報交換の会話で終わり、私はその手紙を抱えて一人旅を続けていたと思います。
ではあの手紙が届いていたらNYに来なかったか?という事になると、それは疑問です。私は「ここに来なければならなかった」という思いが強いからです。
この手紙を書きながら今あの手紙を思うと、それは届くべきではなかったのだ、という気がします。
そのようにして届かず、そして今の私がここにいる。

Lost in transit は配達途中紛失という意味で、通常郵便局や宅配が使う用語です。それをもじってLost in translation という映画がありましたよね。

とりあえず、手紙から最初に思い出したものを送ります。

陽子